精神分析
「lacanianさまへの返信」:ラカンの言語論:<現前の形而上学>批判
feuilles:
ラカンに関しては言語論に関心があり、
特に<解釈に伴う意味のメトニミー的横滑り>に関心がある
→「真剣に解釈しようとすればするほど,意味が不確定になっていく」というデリダ的テクスト解釈と結びつく
ラカンに関する別の関心
→<シニフィアン連鎖の分析家による解析過程のシェーマ>
→<意味の横滑り>と上記を結びつけると
→解釈の共同体においては<意味の横滑り>が際限も無く生じ、任意の地点において横滑りを止めると
→共同幻想=ドグマ=「ラカンはきっとこう言いたかったのだ」に陥る
lacanian:
それはあくまで<ラカン対デリダ>に限定された構図と見える。lacanianはそれとは違う面にラカンの可能性を見ている。
lacanianの提示するラカンの可能性:
60年代ラカンは<解釈>を
「意味が横滑りするメトニミー的な側面」ではなく
「主体の<無意味の核>に接近するための技法」として扱っている
「無意識におけるシニフィアンは全てのsensへと開かれている」
→誤謬
<無意識におけるシニフィアンは主体を構成する>
(全てのsensに対する主体の自由という形式で)→この命題は「主体がsensに対して確定されていない」ことを意味しない
ラカン派の解釈:
significationの多義性に関わらず最終的に<単一のsensのシニフィアン=無意味のシニフィアン>へと至る/回収される
→「手紙は宛先に必ず届く」
→デリダによると「現前の形而上学」
- →Derrida, Pour l’amour de Lacan
- lacanian:「現前の形而上学批判の議論が第二節以降にすばらしく明晰に展開されている」
feuilles:
ラカン読解の別の可能性として
Slavoj Zizek
否定的なもののもとへの滞留
汝の症候を楽しめ
→浅田彰による解説
東浩紀『存在論的,郵便的』の「否定神学」批判を検討している
→ラカンとデリダという問題設定
ラカン理論から考察した貨幣と言語
Cercle Psychanalytique de Tokyo
『エクリ』を読む BBS
現在は「Position de l'inconscient」を読んでいる
Seminaire V (1957-58)
Les formations de l'inconscient
pp.156-157 /pp.158-159
Referance
Jacques Lacan <年表><著作>
How to Read Lacan by SLAVOJ ZIZEK